ダンツィヒ自由市及び東プロイセンとの間の回廊地帯

ヒトラーは更にポーランドに対して、ダンツィヒ自由市及び東プロイセンとの間の回廊地帯を要求したが、ポーランドは英仏の保証を受けて抵抗した。

こうした中、1939年8月23日にヒトラーは宿敵であるはずのソ連との間に独ソ不可侵条約を結んで世界を驚かせ、直後の9月1日にポーランド侵攻を開始した。

同9月3日にはこれに対してイギリスとフランスがドイツへの宣戦布告を行い、これによって第二次世界大戦が開始された。

ドイツ軍は空軍の支援の下機甲部隊を主力とした電撃戦によってポーランドをたちまち占領した。

1940年に入ると、デンマークとノルウェーを相次いで占領し、更に西部ではベネルックス三国の制圧に続いてフランスを打倒してヒトラー自ら第一次大戦の降伏文書の調印場である因縁のコンピエーニュの森でのフランス代表との談判にのぞんだ。

しかしイギリス侵攻はバトル・オブ・ブリテンでの敗北により果たせなかった。

1940年7月31日には国防軍最高司令官に就任し、作戦面でも戦争の最高指導者となる。

1941年にはユーゴスラビアとギリシアを占領してバルカン半島を制圧。
update:2010年02月26日